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タロット講座

タロットリーディング講座

マトリクスとしての九つの場所の意味

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体の左側としての???は受容性で、外に開かれています。???は身体の右ですが、これは個に閉じこもります。個人の才能や主張はこの身体の右、絵での左と考えるのです。???は精神性。???は感覚的、物質的要素。この二つを中和する真ん中の???は心理性、社会性です。あらゆるマトリクスの中心は、?で、これは生きる意味や本質を表します。

このマトリクスは、過去、現在、未来の時間区分まで入れて、二十七カ所の部位に細分化することもあります。

また、単にカードのレイアウトではなく、一枚のカードも、このマトリクスに区分することが、リーディングを深化させます。

?霊感、啓示、祝福。超意識との関係。夢。海王星。
?独立。形にする力。個性のもっとも高度なレベル。天王星。
?権威。父。社会的立場の頂点。晩年。人生の最終的なスタイル。土星。
?社会での広がり。寛容。発展。成功。多くの人との接点。木星。
?個人の意志を社会的に活かそうとする。野心。主張。エゴ。闘争心。火星。
?生きる目的。胸の中心。精神と物質を調停する意義。対立を結びつける。太陽。
?感覚的なところでの楽しみ。身近な対人関係。恋愛。金銭。華のある生活。金星。
?感覚的なところでの個人の蓄積。能力、学習、知性。水星。
??から?までのすべての影響を総合的にストックして、個人の人格を作る。私生活。生活リズム。土台。家。月。

色の意味

色の意味は、赤が個人衝動。オレンジは愛着。黄色は発展。緑色は調整。空色は従順と知性。紺色は集中力。紫は精神の極。基本的に、色は三原色で、赤黄青は、それぞれ、肉体、感情、知性という三つのグループに分かれています。ですから、赤と黄色の配合であるオレンジは、肉体と感情のつなぎとなり、感情としての愛着と、肉体的個体としての赤を結びつけると、個人への愛着という意味になります。

オレンジに黄色ほどの広がりがないのは、肉体としての個人性がより色濃く出てくるからです。タロットカードを読む時にも、この色は参考にしてください。しかし、配色が極端に少ない場合は、極端なリーディングになりますから、少し控えめに推理するようにしてください。

人物の場合

人物が描かれている場合には、人物固有の意味を考えるとよいでしょう。人体については、だれでもある程度知識があるはずです。「頭という考えるところ」というように。これらを応用してみるとよいでしょう。

  • 目線
    これは、対象に支配される受容性。つまりはそれにとらわれている。気にしている。それに影響を受けてしまうことを示しています。また反対に能動的な働きかけもありますが、実際に目線に関しては、能動性はさほど強くありません。気がつくともう対象を見ていることが多いはずで、外界の何かに関心が縛られてしまうほうが強いのです。
  • 手の方向
    これは具体的に作業することです。中国では陰陽五行というのがありますが、この考え方は、はじめに一つのものが陰陽に分かれ、次に五つに細分化されます。この理屈のように、頭で決めたことは肩から腕に、そして指に伝わります。それは抽象的なものを具体化することです。つまりは、細かく説明したり、細分化することを意味します。手がどこに行っているかを考えてみましょう。右手は習い覚えた物。左手は人扱いなど、変化するものに対しての手腕です。

  • 肩から手の途中に肘があり、これは主張の圧力です。肘鉄を食らわすというのは押しのけることです。つまりは押しのける力、主張の強さです。

  • 立場。どこに立っているか。これは地上的な意味での依存。またその人の立場。具体的で物質的な活力を引き込む場所を表します。足はしばしば仕事や社会的な立場で、腰は自分の家。すると、途中の太ももや膝は、どこの会社に所属しているかなど、帰属しているものを示すことも多くなります。

  • 心のありかで、何を思うかということを示します。

  • 看板。意思表明です。テーマなどを打ち出します。どこに顔を向けているかというのは関心の方向です。
  • 首や手首、足首
    接合部は方向転換などを意味します。道路の交差点のようなものです。

  • 情報を聞き取ります。

人物カード以外

大アルカナのカードでは、人の登場しないカードは三枚しかありません。ただ、13・死に神は、骸骨の人物像ですし、バラバラになった人体も出てきます。これらは人に似ていると考えると、人の出ないのは残り二枚、10・運命の輪18・月のカードです。運命の輪では猿などの動物が。月のカードでは犬とザリガニが出てきます。この二枚は人為が入らないものと考えていいでしょう。代わりに動物の意志が働きます。動物は、自然界の代理者であると考えるとよいでしょう。人間は自由であるがゆえに、自然界の代理人になることはできません。動物は自然界から独立できないので、自然界のメッセージを運んでくるのです。また天使が出てくるのも、これは人智を超えた作用を象徴しています。

象徴的な事物に関しては意味を考えることもできますが、これには熟練が必要です。たとえば、剣は直線意志を表しています。自然界の中に直線は存在しません。ですから、これは人為的なものです。剣の意味は、意志、貫くこと、初志貫徹、継続すること、分割する。他の価値観を切り裂く、などです。

自然界の中には直線は存在しないのですが、大きな円の一部を切り取ると、切り取られた短い線は直線に見えます。地平線がまっすぐに見えるのと同じです。つまり全体を見失い、小さな視点に閉じこもると、直線というのは成り立つのです。その意味では、タロットカードの中で、剣、あるいはまっすぐのものが出てきたら、それは周囲の意志との調和を考えない姿勢のうえでのみ、貫くことのできるものを表しています。しかし、それは常に一時的であり、長くは続きません。また、短期的には正しい判断ですが、大きなスパンでは間違ったものを意味します。つまり、いつかはそれが過ちだと判明するのです。日本の剣は湾曲している場合があり、この湾曲があるものは、天意の代理と見なされていることもあります。たとえば、1・魔術師の机の上にあるナイフは、湾曲しているようにも見えます。これは円の一部であると、自覚しているということです。直線は個人意志、湾曲は天意の代理と見なすのです。

これらについて、あくまでも大切なのは、自分にとってどう感じられるかということです。

大アルカナについて考える

火・水・風・土という目に見える物質の世界は四元素、それを統括的に支配している、目に見えない、人間の意識活動に相当する第五の元素があるという考えをもとに、タロットカードを考えます。

大アルカナカードを第五元素とみなし、四つのスートに分かれている小アルカナカードを、地上的な四元素に対応すると考えればよいのではないかと思います。

第五元素を示す大アルカナカードと、四つの元素の小アルカナカードをつなぐものは、数字の法則です。

占星術では四つの元素は、そのまま、火、水、風、土の四つの元素のサインに対応しています。自由な表現力を求めた創造的な運動は火、愛情は水、思想活動は風、経済中心主義は土です。このどれかに肩入れして、ひとの人生は展開していきます。どれかが得意で、どれかが嫌い。そこのそのひとの癖などが出てきます。

しかし、この四つの元素をすべて統合化すると、そこに第五の力が宿る余地が生じると考えるのです。占星術では、第五元素に対応するものは七天体でもありました。

大アルカナは本質を示す第五の領域を示しているので、人間のより精神的で内的な変化を考えることに適しています。それは二十二種類のことばで作られていると考えるのです。

愚者

数字があてられていなかった時代は、無所属であり、環境につながれていない状態を示します。ある特定の環境範囲に対して、関係が作られていないというもので、その適用サイズはそれぞれの状況で違うでしょう。
ある時期から、この愚者のカードにゼロの数字があてられるようになりました。愚者のカードに数字のゼロをあてはめてしまうと、所属していないという意味とは違って、場を決めようとするとか、場から離れようとするとか、ともかく自分の場の決定にかかわるという意味に変わってしまいます。というのも、ゼロというのは、円の形からもわかるように、特定の範囲を決める印なのです。このように所属する範囲が決まってしまうと、細胞分裂の前兆を示すことになり、やがて次の数字に進展するということを暗示するのです。
タロットカード、特に大アルカナカードは、範囲の大小ということを問わないので、愚者はものごとの境界面ということを示しているという指摘だけにとどめておくほうが正確でしょう。

1の数字のカード

魔術師

始まりを意味する1の数字は、具体的なイメージがまったくないところで、活動がスタートします。何がスタートするのかは、このカードの意味が広範なので、その都度状況に合わせて読んでください。ただ、この魔術師の示す1の数字の意味は、単純に数字の意味を考えたときの1の意味から引き出されたものとは少し違うようです。まったく何もないところから始めるというよりは、どこかの具体的な環境に着地して、そこで新しいことを始めようとしていると考えられます。
ゼロは特定の活動の場に入るか、出るかを意味しました。場の中で動き始めるのが1ですが、動き始めるということは、すでに対象が存在するということです。しかしおそらく魔術師の段階では、この対象が明確に理解されていない。魔術師は未知の闇を手に入れたと考えてもいいのです。

カードの配置として、上はスピリチュアルな影響。下は具体的な事情や欲望。右は他人や社会、自身より大きいもの。左は個人的に蓄積してきた衝動を形にしようとすること、自身よりも小さいものからの影響などと読むことができます。

2の数字のカード

女教皇

活動するための場を決めることがゼロだとすると、その中で行為というものが始まるのが1です。しかしこの行為は、どこにという具体的方向性を持ちません。方向性を意識することができないのですが、無闇にであれ動くことで、二極化が進んでいきます。右に動くと左との間に。前に行くと、後ろとの間に。どこであれ動きがあると、それに対立する闇とでもいうものが出てくることになります。二者択一は、むしろ3の数字に属するもので、2の段階では、そのうちひとつは自分の位置なので、選ぶことができず、むしろ自動性に任せてしまう傾向があります。
2の数字は、意識できないもの、本能的なもの、そうして過去に蓄積されたものによって、自動的に行為が方向づけられてしまうことをあらわしますが、この無意識化された制限から解放されるには、それがどういう条件づけか知る必要があります。そして知った段階でもう解放されてしまうのです。決して知に至ることができないということが2の性質でもあるので、この条件づけという束縛を意識することはできないのが通例です。女教皇はこうしたわたしたちの心身の奥に潜む可能性を意味します。

3の数字のカード

女帝

3の数字は能動、受動、中和という三つの要素の組み合わせによって、生産的な創造性が発揮されることをあらわします。2の数字は生産性がなく不毛なものですが、3になると果てしなく生み出す力となります。
3は次の4の数字が来ることで、その生産性に終止符が打たれるのですが、4が来ないかぎりは、休みなく生み出すので、節目なく流動するような性質があって、落ち着くところなどどこにもありません。これはいくらでも形が変形してしまうということでもあります。この数字のカードでは、生み出されてもまだ止まることなく生産性が発揮されるので、完成状態で止まることなどありません。どこかで打ち止めして形を残すには4の数字の介入が必要です。また、生み出すのは3で育てるのは4だとも言えるでしょう。

4の数字のカード

皇帝

4の数字は普及と平均化、安定性などに関係します。図形的には十字架あるいは四角形です。格子柄のように、同じ規格の四角を次々とコピーするかのように増やすことをイメージしてもよいでしょう。増やすということが主眼ではなく、共通の型をどんどん普及させていくということがメインの意味です。皇帝のカードはこうしたひとつの基準を世界中に拡大していき、そのことで統一する姿勢をイメージさせます。この同じものは数が増えるほどに力が強まっていきます。大は小を飲み込む性質があるので、弱肉強食も成り立ちます。普遍性、巨大化、大きな鉱脈、集団性に関係すると考えてもよいのです。この普及、普遍化を強化するには、まず3の創造性ということを抑止しなくてはなりません。創造するのが3であり、普及するのが4であると考えるならば、作って普及するという行為は3と4を足して7ということにもなります。
基盤や安定性をがっしりと作り出す作用であると考えてもよいでしょう。また強圧的な性質や押しつけがましさは十分に強い数字なので、自由を奪うという要素も強まります。

5の数字のカード

司祭長

自己主張をあらわす5の数字は、外に向かって個人の表現意欲が満たされると満足感を覚える性質があります。他者をあまり気にせず、他者よりも自分のことが大事という考えの上で生きているかぎりは強気でいることができます。しかしひとたび他者を気にし始めると、これはもう次の6の数字になり、弱気で律儀な状態になっていきます。個人としてのびのびとした自由と壮大さ、尊大さを持つ5の数字は、主観的な意識の、外への拡大をあらわします。外からやってくるものではなく、内の、奥からやってくるものは、個人の主観を通じて取り込まれる以上、人間の存在を肯定し、その意義を高めていく傾向があります。他人の意見を取り入れて考慮するのが指導力だとすれば、この5の数字のカードに指導力はありません。5の数字には外から来たものを受け入れるという性質がないからです。

6の数字のカード

恋人

6の数字は図形で言うと、三角と三角が結合した形です。呼ぶものがあれば応えるものがある。主体と客体の呼応する関係はこの図形にあらわれています。このカードには、人対人の選択以外に、自分と環境や客体的なものとの結合ですから、仕事や課題の選択などの意味も含まれます。また環境と結合したことで、5の数字のときに発揮していた自己中心的な姿勢は続けられなくなり、相手に振り回されがちになります。偶数の数字なので、相手に振り回されて、自分の意見も変わってしまうという相対性の問題がクローズアップされます。つまり主体と客体が鏡のように反射しあい、反応関係にはタイムラグがなく、またどちらも中心的な関係を担うことができないのです。しかし、三角形の倍数なので、要求に応じて生産性の方向を変えていくことが可能で、2の数字のような不毛さは持っていません。十分に生産力も推進力もあるひとが、相手の要求に合わせてやり方を変えていくということなのです。5の数字では強気だった人も、6では律儀な腰の低いひとになることが多いのです。六角形はほかに性的な結合の意味も持っています。具体的な面での結合はそれぞれ小アルカナが示しているのですから、この大アルカナのカードでは、何と、ではなく、結合そのものの意義が強調されています。

7の数字のカード

戦車

7の数字は、自由に移動する伝達力に関係します。移動性と挑戦する力の強いカードでしょう。落差がある二極の間を行ったり来たりするということで、対立感や葛藤なども強く持っています。しかしこの葛藤がないことには活動もできないのはあきらかで、戦車は自らの中に欠けたものに向かって走っていくのです。自分自身の置かれた状況に対して客観視できるのは次の8の数字で、この7の段階では、自分自身を行動衝動と同一化させているので、状況を客観視するのは難しいでしょう。7は3足す4で、3は自由に動く、4は固定する数字です。対立するものを、精神と物質というふうに二極化してみた場合、物質的に安定したところで精神が自由に動くこと、反対に、精神面での価値観が決まっていて、物質面で挑戦的に活動すること、というふたつのタイプに分けることができます。7は奇数なので運動性や積極性は強いのです。6は相対的にふたつの勢力の間で揺れていることを意味していましたが、そこに1をプラスして積極的な働きかけが生まれたと考えるのです。

8の数字のカード

正義

8の数字は圧縮、蓄積などに関係します。ためがあると考えればよいでしょう。7の数字がストレートに伝達・成就に向かって走る実行力であることに比較して、これを一度止めてしまい、十分に力を圧縮し、解放するというのが8の性質です。7は駆け抜ける力そのものが、しかし8ではそれをどこで使うのかということが重要になってくるわけです。また7で問題になっていたふたつの力の対立感というものが、8では客観視されることになります。というのも、8では走り抜ける力そのものに同化しないからです。即断即決しないので、軽はずみなひとには見えないし、ぎりぎりまで待って決断するということも、8のため込みに関係すると言えるでしょう。このようなため込みは、力、権力、説得力などをもたらします。しかし偶数ですから、抑圧的な意味も出てくるでしょう。

9の数字のカード

隠者

一桁の自然数の中で9は最終的な数字なので、それは総和という意味を持ちます。次の数字は、特定の場や状況という狭い範囲のゼロの輪の中にこれまでの1から9の意味を封じ込めることを指しています。そして、9はこうした10の持つ具体的な現場性が決まる前の、精神的な意味での総合的効果をあらわしているのです。具体的な現場性のないところでの総合性とは、知恵とか、精神的な成果、卵の殻ができる前の柔らかい中身のようなものだと考えるとよいでしょう。こうした資質は抽象的で、あいまいです。しかし反面、さまざまな具体的なシーンに対応できる柔軟性があるので、応用的な知恵として、実体は変わらないが形を変えることができるのです。これを拡大解釈すれば、さまざまな肉体に生まれつつ魂の実体は変わらないという輪廻思想なども含まれることになるでしょう。
卵の殻がない状態とは、あまり具体的な事情には言及しないで、精神的、哲学的、思想的問題に集中しやすい傾向もあらわします。

10の数字のカード

運命の輪

10の数字は、1のそばにゼロをあらわす円があり、このゼロという記号は、活動の範囲の設定をあらわします。つまり地面に円を描いたようなものだと考えるとよいでしょう。この限定された範囲の中で、新たにスタートを意味する1が始まるのです。ほんらい1の数字は、どこで、何を、という具体性が欠落しています。しかし10では場所、状況という具体性がはっきりしているので、そのぶん実際的でわかりやすいと言えるのです。また限定性がある以上は、どうしてもダイナミックさや広がりは失われます。チャンスがほしいと思っているひとはチャンスが見つかるととてもうれしいものですが、その中で働いているうちに、機会が与えられているというのは、反対に機会に縛られているということでもあると自覚するようになります。10の数字をあらわす運命の輪とは、このような機会を得たが故の不自由さなどをあらわしたカードだと考えるとよいでしょう。1から9まで成熟してきたものは必ず次に10という具体的な現場の中に落とし込まれ、成果を確実に見ることになります。この成果を見ることで、それまでのステップがどうだったのかが客観視できます。

11から21まで

この数字の連続は、10の完成という節目を挟んで、11以後18までは、単純な1から9までの数字に対して相対化し、対抗するような要素があらわれ、19から21までは、三番目の中和的な要素があらわれると考えることもできるでしょう。

11

これは、2・女教皇のバリエーションです。2では素質に従属し、11ではそこから自由であるべきと考えるのです。11の数字は奇数です。ですから、偶数の2に比較して、外向きで攻撃的です。偶数は内向きで同化的、奇数は外向きで異化作用ともなります。
自身の中に本能的に埋め込まれ、無意識になっているからこそ無自覚にしたがっていたこと、たとえば遺伝的な資質に対して、今度はそれを意識化してコントロールし、方向を変えようというのが力の意義です。そのためには無意識の中に埋め込まれているものを意識化しなくてはなりません。自明の理と考えていたものに対して違うと言う姿勢は、きわめて反抗的と言えるし、また神に従う動物としての生き方から、自立したひとへの進化の過程と考えてもいいでしょう。抵抗しがたいものに抵抗し、自立を促すカードです。

12

吊られた男

12・吊られた男は、3・女帝のカードの反対位相です。3が奇数で、外に対して積極的に生産的な働きをしていく数字だとすれば、12は偶数なので内向きです。内面で生産的な働きをします。外面的な発展性を封じるか、あるいは外面的な発展性がなんらかの理由で封じられたときにこそ、この内面的な生産性は強まります。3の数字はもともと創造性を示す数字です。12はこの創造性を持ちつつ、もっと文化的に複雑な性質を持ち、単純な形では発揮されないので、なんらかの屈折した事情が出てきます。身体の具合がよくないとか、状況的に身動きがとれないとか、囚人のような暮らしということを想像してもいいかもしれません。しかしこの中で発達してきた12の内的な創造性は、困難の中でも打開策を生み出せる力になるのです。はじめは否定的に見えるかもしれないが、それを前向きのものに変えていくこともあるでしょう。
西洋占星術のホロスコープは12のサインに分かれています。この12は環境の中に閉じこめられているが、この閉じこめられた環境の中であらゆる創造的なバラエティーを生み出すことができるという意味になるのです。しかし、もしこの内面的な創造性という方向に打開できない場合には、身動きのとれない事態は、そのまま腐敗、崩壊ということになるかもしれません。

13

死神

13は4・皇帝のバリエーションです。4が偶数で、自分の属する世界内での安定性を獲得しようという平均化の作用であるのに比較して、13は奇数ですから、外に飛び出そうとします。4の数字は、均一化させるという内側での性質だと考えたとき、13はいまここにない外の新しい秩序を取り入れようとする性質です。それはいままでよりも、より大きな秩序や法の力に対して従属する性質を持っています。その結果、これまでなじんできた身近なルールの力を無効化する、つまりは死神のような働きがもたらされることになるのです。しかしこの13の働きがないと4の数字の作用はどんどん閉鎖的になっていきます。13が身近な環境に根づくことはありません。鎮魂せず、いつまでも不穏ではありますが、むしろ心理的な面での自由さと元気さと考えるべきでしょう。
このカードをうまく使いこなすひとは自由を得る。うまく使えない場合には、停滞、衰退、あるいは不穏を否定的なものと考えてしまいます。13が神聖である世界では、ひとの世界よりも優れたものが外部にあるという思想を持っています。外の世界をいっさい認めないという世界観のもとでは、この13は不吉という定義に変化します。現状の停滞や休止のなかで、新しい可能性を開くというのがこの数字のメリットです。

14

節制

5・司祭長のバリエーションです。5は個人としての頭、四肢の五つが突出した図式として、自己主張や楽しみの追求をあらわしていました。自分が何をしたいか、何を言いたいか。この主張する力が、14では偶数で内向きなので、自身の内部に向かいます。つまり希望や夢を、自己の生き方に植えつけて、自己改造するような性質だと考えるとよいでしょう。5では外界にいる人々に対して主張していました。しかし14はひとに対して主張せず、黙って自分を作り替える力だと考えるとよいのです。5は子どもを産む。しかし14になると、外に子どもを産むのではなく、新しい自分を自分の中に生み出すということになるのでしょう。生まれ変わりは象徴的な事柄です。つまり自分の理想実現イメージに向かって生活や生き方を変えていくということを意味しているので、節制ということばも適しているのです。13で環境から脱出した後、新しいヴィジョンを携えて戻ってきて、新しく生まれ直すと考えてみてもいいでしょう。日常的な行動では、一度破綻の体験をした後、もう一度やり直しの気分になったとき、実は前に戻るということはなく、新しく作り直すということになります。

15

悪魔

6・恋人のカードのバリエーションです。6が偶数で、外の要求に対して受け入れるということをあらわすのに比較して、15は奇数なので、外に要求する、自分の主張に対して相手に応じてもらうというのは、悪魔のカードのイメージそのものかもしれません。ひとと自分の間には、関係性の均衡という壁があり、そこから外に踏み込むのはけっこう大変です。知らず知らず侵害することもありますが、この悪魔のカードでは故意に壁を破って、自分の意志を相手に押しつけることになります。それは欲望の場合もあれば、また愛情の場合もあるでしょう。なんらかのかたちで壁を破らないことには、だれかとの関係性はできあがりません。一度均衡が崩れると、また新しい均衡を作り出そうとして双方が変化することになり、そこにいろいろな意味で新陳代謝が生じます。その点で、このカードが悪い作用を持っているわけではないことも多いのです。もし長期的に偏った要求が続き、そのバランスシートの悪さで、誰かがずっと苦しんでいるとしたら、それは悪という意味にもなるでしょう。外へ踏み出しそれまでの均衡が崩れるということがメインの意味なので、いろいろなシーンで応用的に読んでみてください。

16

7・戦車のバリエーションです。7が奇数なので、外に対して積極的に働きかけ、コミュニケーションを取ろうとしたり、また自分の意志を伝えようとしたりする行為だとすれば、16は偶数なので、その力が自分の側に向いています。新しい考えや意識によって、古い自分の殻が壊れ解放されていくプロセスは、一時的には痛いのですが、後で考えるとよいことであったと思うことが多いのです。狭いところの幽閉から抜け出すという点で、救済の意味が強いでしょう。
オープンな姿勢でより優れたヴィジョンを受け入れるのは次の17で、この塔はそれに比較して、文化、組織性という人工的な塔を持ちつつ、外からもたらされたものと交流することに意義があります。

17

8・正義のバリエーションです。17は奇数なので、外とのかかわりで、8の数字のあらわすような圧縮、蓄積をしていきます。つまり外から持ち込まれた影響をため込み、飽和量に達すると救出します。遠い未来のヴィジョンや、こんにちの社会で実現するにはほど遠い理想をじっくりと蓄積し、濃い力にする、すなわち形にしようとしています。この手前のカード、16・塔では固まった自我を外からの力で壊したので、精神や受容性が柔軟になった結果、遠い外にあるものを受け入れることができるようになったのは当然の成り行きです。これは塔が現状の保守的な体制だとすれば、星は未来的ヴィジョンということもあるのですが、ずっとその希望を維持できれば、実現は可能となるでしょう。物質的な密度という観点で、精神は薄く、感情はもう少し濃く、感覚的な世界はもっと濃いという比率の問題だと考えると、精神でしかとらえられない理想も、くり返して濃くなれば、それは形になっていくのです。

18

9・隠者のバリエーションですが、18は偶数で内向きです。月の光に照らされて、内面の旅をすると言えば、夢見ることに関係しているように見えるはずです。日常的な目覚めた意識が封じているものが、この夢見の中では解放されます。目覚めた意識の緊張がなくなると、忘れてしまった過去の記憶などもそのまま浮上してきますから、何か考えるときに、あらゆる可能性が検討できます。見落としているものが表面化するというのは、なんらかの理由で抑圧しているものが解放されてくるので、時々不穏さももたらされます。本人も見たくない、忘れてしまいたいものが飛び出すのは、16・塔、17・星という変化の連鎖の中で、自分の立場にしがみつくことがなくなったために、抑圧も必要がなくなったということでもあります。抑圧というのは、置かれた状況や場によって発生します。
あらためて素直な気持ちでこの古い記憶も含めて、夢見のような気持ちで潜在的な可能性を検討すると、その多彩さに驚かされるのですが、行きすぎると、当然いまの生存の基盤は脅かされます。個人が禁じてきたもの、文化や文明が禁じてきたもの、これらの多くが開かれ、新しい可能性が検討されることになるでしょう。最も望んでいるものを引き出すことができる力をあらわし、イメージを受け取る力にも関係します。

19

太陽

1・魔術師、10・運命の輪と続く1の数字のバリエーションです。つまり1の数字の三番目で、三番目というのは、一番目と二番目の対立を埋め、その調停的な結合をするので、意識の働きとしては成熟度が高くなります。1の数字のバリエーションは、すべて開始するという意味を持ちます。1は、何も用意されていない状況でスタートします。対象が明確ではないけれども、ここには新鮮な自由があります。10は目的の完成を意味し、完成したところで作られていく社会的な実現力をあらわします。この新しさと確実さという対立するものを両方実現しようとするのが19だと言えるでしょう。10の数字はできあがった業績をもとに考えるので、どうしても柔軟性というものがないのですが、1を取り入れることで、新しい可能性に対しても開かれている姿勢を作り出すことができるのです。
19という数字は、太陽暦と太陰暦が合流する年数サイクルに関係するので、こんにちの社会でも衝突しがちな、ふたつの文明スタイルの両立を指すことも考えられます。それは公的なものと私的なものの両立でもあります。どちらかが主導権を握るということでもないのです。むしろ交互に主導権が入れ替わるような循環があるということです。完成された社会でありながら、この中で次々と個人の新しい試みが芽生えていくのです。こうした開かれた社会、あるいは、成長していく組織性などは、太古の時代には存在していたようです。

20

審判

2・女教皇、11・力と続く、2の数字の三番目のバリエーションです。2が遺伝的な資質のような過去の持ち物に方向性を決められている一方で、11はその過去の資質に反抗し、新しい未来のヴィジョンに自分を投げ出そうとします。この過去、未来という対立した指向性を中和することで、20は固定的な方向性には縛られない可能性を獲得します。こう説明すると具体的には難しいと思うかもしれませんが、知らず知らず取り憑かれたように方向づけられた無意識の癖から脱却できるという意味です。
わたしたちはひとは進化すると信じています。だから、昔のひとのほうがいまよりも知恵があったなどと言われると、そんなことがあるはずがないという思い込みだけで否定します。しかし機械文明は未来に向かって進化しても、精神文化は反対に退化している面があります。過去や未来のイメージに対する固着から解放されると、個人の頭脳の働きは柔軟になります。2の数字はもっとも根底的な方向づけと条件づけを意味するので、この根本的なものの支配から20のカードによって免れると、あらゆる価値判断の相対性に気がつくことになります。決まりきった前提など何もないという気づきに至るので、真の自由な可能性を考えることができるようになるのです。
身近な現象としては、忘れてしまったものを思い出したり、過去が再生したり、失われたように見えたものが戻ってきたりします。封印していたものが開かれるということになるのです。

21

世界

3の数字は創造性や生産をあらわす数字ですが、3・女帝、12・吊られた男と続き、この21で、三番目になります。外への生産3と、内側の生産12の両方を兼ね備える21は、内面で新しく考え出したものを形にするという、内外両面においての真の創造性を発揮します。
四つの獣は自然界をあらわしますが、その真ん中に立つひとは、第五の、本質的な生命的元素をあらわします。つまり、ひとの環境に対する支配力です。内的に考えたことを自然界の四つの元素に刻印して、新しい世界を生み出すことができるのです。ここには規制する法や縛りがありません。それは20・審判で越えてしまったということなのです。あらゆることで自由なのですが、結果はすべて形にはっきりとあらわれ、本人はそれを受け取らなくてはなりません。その意味では、純粋に環境と自分との間の循環が生じています。全部自分でやって、全部自分で責任を負うのです。
1・魔術師は借り物の環境でしたが、21・世界は自分で自由に手を加えることのできる環境であり、まさしくタロットの物語の始まりと終わりの違いを示しています。ただ、そもそも、3の数字というのは、永遠に固定されることがなく、果てしなく改革していく性質がありますから、じっとどこかの環境に安住するというような姿は思い浮かべにくいでしょう。その業績をだれかが受け継いだりすることもできません。
占いでこのカードが出た場合には、他者に影響を受けないで、自分の意志で、自分の生活を構築する力があることをあらわします。

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